今日10月3日は、盛田さんの命日=ソニーの歴史が変わった日。

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盛田昭夫ライブラリー http://www.akiomorita.net/

1999年のこの日に、世界が変わってしまいました。いや、具体的にどう変わったかどうかはわからないけども^^;
長年苦しんだソニーが、復活をはじめた現在のソニー
もっといい意味で違ったソニーになっていたんじゃないだろうか?あの方の人生が、もう少し長ければ。。。
創業者が、偉大であればあるほど、後に残された人達は、大変なんだよね。


さて、、、
当社会長は、、、毎年一回、盛田さんにお会いするのを楽しみにしていたほど、盛田信者だったそうな。
盛田さんがいたからこそ、ソニー製品の販売に注力していき、、、1988年には、とうとう、ソニー一色な、ソニーショップ「コール徳島店」を創業するにまでなり。
盛田さんがいらっしゃらなければ、コール徳島店がなかったのは間違いなさそう^^;

そして、私、店長野田もまた、会長の影響を受け、小さい頃から、ソニー製品が大好きで。物心ついたころから、ソニー製品に囲まれ。。。
ソニーショップを将来やりたい!」
という、小さい頃からの夢を求めて、コテコテ理系大学なのに、ソニー株式会社文系採用枠の入社試験を。。。(理系の道だと、ショップ経営はちょっとね^^;)
履歴書が当時有名で。なんせ、「大学名不問」。実はこれ、少し不正確で、「大学名記入禁止」となってたはず。問わないじゃなくて、書いちゃいけないんだよね。パフォーマンスなんかじゃなくて、がちなんすよ、これ。だから、いまだに、元同期たちの出身大学って、ほとんど知らないし。変な会社だ^^

そして、1993年4月、、、ソニー株式会社の入社式にて。
まさかの、盛田さんの登場!おそらく、サプライズだったはずで、大ホールにいた新入社員全員が、あまりの驚き、感動で、無意識で立ち上がり、大拍手。「生」盛田さんに、涙ウルウル、鳥肌ビンビンだったのを、鮮明に覚えている。自分とこの社長が登場して、大拍手なんて、珍しすぎるよね。カリスマなんて言葉じゃ片付けられない。
さらに、そのときに驚いたことが、いくつかあって。。。
司会進行の人が「盛田さん」と連呼していたこと。フツウ、「盛田社長」でしょ?飛ぶ鳥を落とす勢いの、あの、世界のソニーの創業者を「盛田さん」って。。。実は、当時から、社内では、役職で呼ぶことを禁止してて、それが、トップの呼称にまで徹底されていた。
で、もっと驚いたのが、、、
「盛田さんの胸元には、顔写真入りで、盛田と書かれた、社員証が吊られていた」こと。当時、ICカードなんかじゃないから、社員証は、あくまで、見せるだけ。警備員が確認すれば通行できる。でも、いらないよね、この方には?
すでに、偉大な「人間」を、身近に感じてしまっていた、この瞬間^^;
実は、店長野田、前から数えた方が早いくらい、盛田さんに近い位置に座っていて、社員証文字が見えるどころか、盛田さんの息づかいまで、生で聞えそうなほどだった。。。だから、感動も人一倍だったのかも。

盛田さん、、、ながーい、拍手、ほっとけば、いつまでも続きそうな拍手を、やさしそうな目をして、両手で、「まぁまぁ」と制止し、、、大ホールの手前から奥までを、ぜーんぶ見渡し、、、1人1人全員と目を合わさんばかりに・・・。
で、第一声・・・

「店長野田、あまりの感動で、内容全く覚えてない(汗)」

ただ、一言だけ、覚えてる言葉が、、、

「あなた方は、ソニーの宝だ!」

もう、、、声に出して泣いてる新入社員もいたくらい・・・

実は、、、生盛田さんに関して、店長野田が持ってるエピソードはこれのみ。
盛田さんに、直接お会いしたというか、生で拝見したのが、これが最初で最後で。

あのとき、壇上に軽い足取りで駆け上がっていったのがウソのように、その年、病に倒れられ。1999年10月3日、、、空へ。。。
もう1人の創業者井深大氏は、すでに、2年前に、空へ。
この日をもって、ソニーは、偉大なる創業者が不在の企業へと。
偉大なる歴史が幕を閉じ、新たな、歴史のスタートと。。。
その後の、栄光と挫折、そして、復活は、みなさまもよくご存知の通り。

毎年この日は、盛田さんを思い出すんだけども、ブログに書いたのは、、、はじめて。深い意味はないけど、なんとなく。。。

ソニーソニー製品を好きな方、、、今日は、是非、ちょっとの時間でいいので、偉大な盛田さんの冥福をお祈りください。まぁ、祈らなくても、あっちで、親友のマイケルジャクソンたちと、楽しくやってるだろうけどね^^

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